「砂の祭典」にかける想い

「"砂"とともに歩んだ人生」(後編)vol.06

管理人

吹上浜砂の祭典30回を記念して、これまでの砂の祭典を支えてこられた方々の想いをインタビューしました。今回は、vol.06をご紹介します!

南さつま市社会福祉協議会
ボランティア連絡会 会長 鮫島小夜子

「砂の祭典」は南さつま市のたくさんのボランティアの方の協力によって運営されています。ご自身が障害者でありながら、「砂の祭典」でのボランティア活動に長年活躍してきた鮫島さんにお話を伺いました。

インタビュー・文=砂の祭典広報部会 クボ

南さつま市社会福祉協議会ボランティア連絡会 会長 鮫島小夜子

砂像をつくってるところをみんなに見て欲しい

ーー現在の「砂の祭典」では、ボランティアの派遣の他にはどういった関わりになるんでしょうか。

会場で豚汁(※)の振る舞いをしています。1日だけですけど、これもボランティア活動。

※ 豚汁 鹿児島では「ぶたじる」と読んで、郷土料理の一つ。

ーー会場に豚汁の振る舞いなんてありましたっけ? 気づかなかったなあ。

「砂の祭典」の会期中じゃなくて、その前の砂像の制作途中に、砂像をつくってる人たちへ豚汁を振る舞うの! 例年、国内選手権大会がある時、ボランティアのスタッフが確保できる日にやってます。クボ君も来てくれれば振る舞うよ!

ーーえー、本当ですか! 食べに行こうかな。どうして豚汁の振る舞いをするようになったんですか?

できた砂像だけじゃなく、砂像をつくってるところをみんなに見て欲しい、っていう想いがずっとあるんです。だって、それこそ30年前から、あの人たちが頑張っている姿をずっと見てるから。雨の日もカッパを着て、逆に炎天下の日は真っ黒になって、一生懸命砂像をつくっている姿を。

外国から砂像アーティストを呼ぶのはそれは凄いことだけど、市民が必死になってメイン砂像が出来る、そっちの方をもっと知って欲しい。でも、いろいろ事情があって砂像をつくってるところを見せるというのは、今まで出来てない。だから、せめて砂像をつくっている人に、豚汁一杯だけでも振る舞いたい、そう思ってやりはじめんです。みんなで材料を持ち寄ってね。お肉だけはコワダヤ(※)から寄附してもらって。

※ コワダヤ 加世田にある食肉企業。

ーー砂像をつくる人への愛情というか、思い入れが伝わってきますね。砂像作家さんとの思い出もたくさんあるんじゃないですか?

作家さんとの思い出を語りはじめると何時間もかかるよ(笑) さっきから話に出てきてる下の子の、中学時代の恩師の美術の先生、この人が砂像をつくる人だったんだけど、この先生も若くして亡くなって、その遺志をついで国内選手権大会に出てる「チームかつとも」の話とかさ。それから、今年は砂像制作期間中にうちに泊まりに来るんだけど、砂像作家として独立した松木由子さんの話とか...。

目の見えない人も元気に会場を歩いてる

ーー障害者関係の活動について話して頂けますか?

先ほど言ったように、以前はボランティアグループで「ふるさとおふくろ便」として出店していたんですが、今は「NPOすだちの会」という障害者の団体で「砂の祭典」に出店しています。毎日入れ替わり立ち替わり障害者に会場での店番や作業に来てもらうわけ。ちょっと特別扱いしてもらって、関係者のパスも多めにもらっていてね。

店番があまりできない障害者もいるけど、それでも来てもらって会場に入ってもらう。障害者を施設から引っ張り出そうとしてるんです。昔は、世間体が悪いとかで障害者を家に閉じ込めているような時代もあったけど、今はどんどん外に出て行かないと。でもやっぱり出て行くのにハードルもあるから、そこを引っ張り出してくる。

私が障害者になった意味っていったらおかしいけど、障害者を外に引っ張り出すために私は障害者になったのかな、なんて考えることもあります。それで私は、そこの店長をしながら、会期中毎日「まかない」をつくっています。全部一人でやっているわけではないけど。

ーー「砂の祭典」の会場に、調理器具を持ち込んでまかないをつくってるんですか? 食事を売るわけではなくて。

そう。飲食店じゃないです。あくまでも「まかない」。障害者をたくさん引っ張ってくるから昼食代もバカにならない。だから私が手作りしてるということ。朝8時から夜の9時までずっと店にいるよ。クボ君も寄ってくれればまかないを食べさせてあげる。

ーーありがとうございます! そのお店では何を売っているんですか?

らっきょうとかツワ、野菜、灰汁巻、餅、漬物、それから障害者がつくった手芸品とか。加世田の本町にお店(※)があるので、そのお店の延長でやっています。

※ 自立支援センター南さつま内。

ーーやっぱりツワなんですね(笑)

ツワを採ってきて会場に持ってくるでしょう。それでツワは剝かないといけないわけだから、会場で障害者の人がツワを剝くわけ。らっきょうも剝くよね。それから野菜を袋詰めしたりとか、そういう作業を障害者が会場でやっているんです。それで利益は障害者の売り上げになる。もちろんお店に来たら「砂の祭典」も見に行く。障害者のみなさん、「砂の祭典」をすごく楽しみにしているんですよ。目の見えない人も元気に会場を歩いてる。

ーー目が見えなかったら砂像が見えないじゃないですか!?

それはそうよね(笑)でも、ほとんどはそうだけど、手で触れられるものもあるからね。

ーーこういうイベントで、障害者が出店者側として関わってるのって珍しいかもしれませんね。でも会場も割と障害者対応がされてるんですが、それがあまり表には出てこなくてインターネットでも書いてなかったと思うので、是非発信をちゃんとして障害のある方にも「砂の祭典」に来て欲しいなっていうのは私も思っています。砂地でやるわけなので、体の不自由な人は前もってわかってないと心配になりますから。

砂の上で使える車椅子「ランディーズ」も準備されてるしね。トイレも、常設も仮設もバリアフリーのものがあります。バリアフリー情報をどんどん出してもらえば来やすい。障害者がまず心配になるのはトイレのことだから。ちゃんと洋式便器があると分かってるだけで助かる。ぜひ発信してね。

※なお、身体障害者手帳等を提示すると、当日券は半額で購入できます!(付き添いの方1名も対象)

「みんな後ろを見てー!」って指さして

ーー家族ぐるみで「砂の祭典」に第1回目から関わってきて、鮫島家にとって「砂の祭典」は何なのかな、というのを伺いたいのですが。

もう「当たり前」というか自然にある「生活の一部」みたいな感じ。特別なことじゃなくて、ごく自然に30年間流れてきた。こうして最初から何らかの形で関わり続けられてこられたっていうのは幸せなことだと思う。「砂の祭典」が始まった30年前、あの頃はみんな若くて、頑張って新しいイベントをつくろうとしていた。そういう人たちが今偉くなってる。そういうのをずっと見てきた。

ーー鮫島さんにとって、「砂の祭典」は、もう人生の一部ですよね。

たくさんの人と知り合いになれたというのも「砂の祭典」のおかげですね。あ、そういえば今突然思い出したんだけど、新川でやってる頃に川野さんと見た花火。あれを強烈に覚えてる。

ーー川野さんというと...。

「砂の祭典」が始まった時の加世田市長が吉峰さん。それでその次の加世田市長が川野さん。その奥さんと見た花火。市長が川野さんに変わったときの砂の祭典でした。今は、会期中は毎晩花火が上がるけど、当時は確か最終日だけだったと思う。小雨が降る中で、まだそんなに親しくなかった川野さんの奥さんと二人で見上げて、上がった花火。その思い出が強烈。

ーーどうしてですか?

花火が大きかったとか、立派だったとか、そういうことじゃないと思う。でもなぜか印象深く残ってる。「花火が上がって、よかったあ」という気持ち。「うわー」って二人で感動した。今の花火もキレイだけど、あの時の特別な花火は忘れられない。そしてそれから、川野さんの奥さんもボランティア活動の仲間になって今までずっと一緒にやってきています。

あ、そして新川海岸でやっていた頃は、有名人がたくさん来たでしょう。シャ乱Qのライブがあったりね。その中で印象深いのが服部克久さん。服部さんのステージをみんなして見ていたその時、服部さんが「みんなどこを見ているんですか?」って言うんですよ。

「ステージを見てるのに何?」と思ったら、「みんな後ろを見てー!」って後ろを指さして、そしたらそこにきれいな夕日があった。有名人がステージをやってるその時に、それよりあの夕日の方がすばらしいでしょって指さした。こんな田舎の夕日に感動してくれたことが嬉しかった。

ーー素晴らしい話ですね! 「砂の祭典」が地域の魅力を引き出してくれたんですね。話は尽きませんが、最後の質問です。「砂の祭典」にずっと関わって来られて、もっとこうしたらいいのに、ということもたくさんあるのではないかと思いますが、一つ挙げるとしたら何ですか?

それはやっぱり、砂像をつくってるところを見て欲しいってことです。クボ君もつくるところを是非見に来て下さい。豚汁も振る舞うからさ(笑)

取材:2017年3月23日

インタビューを終えて
メモに起こした話より「これはプライベートなことだからオフレコで!」という話が多かったくらいで、鮫島さん一家の人生には「砂の祭典」がいつもそばにあったのだと感じました。まさに「砂の祭典」とともに歩む人生です【クボ】。